徒然

読む人に読んでほしいブログ

こんな未来も

 

前の会社の社長と私が会社を辞める原因となってしまったおばあちゃん保育士が並んで2人で車に乗っている。社長は運転をしながら、助手席に座る保育士と話している。

私は後頭座席から、その様子を見ていた。私の横には、私が最も頼りにしつつ尊敬している責任者が座っている。その人は「いやいや」「そうじゃない」と2人に聴こえるか聴こえないかの小さな声で時折反応を示した。

 

社長と保育士は、とある小学生の男の子の話をしていた。

この小学生は非常に賢いが故に周りと上手く付き合いきれず、自分を発揮する前に強がってしまい周りの子どもにも攻撃的になってしまうような性格だった。

私は危うさも理解しつつ、その子の不器用さが愛おしかった。

彼は本当に手を出し始めると止まらなかったし、手を焼くタイプではあった。だが、彼は自分のことを見て欲しいし解って欲しかった。それが全て裏目に出ていただけだ。常に自分が優しく人に出来る場面を探していて、手伝えそうな事は全部やろうと何でも動いていた。そうして人に一生懸命に好かれようと必死だった。

彼と一対一で話すと「今日は薬飲んでないから、小さい子に手を出すかもしれない。大丈夫かな、怖い。」と話してくれた事を思い出す。本当は誰よりも誰よりも優しい子どもだった。

 

保育士は社長に、彼の顔から笑顔が減ったと言われていた。

実際私が働いていた頃もその会社の別店舗の方に彼が移動させられていたので、そちらでは彼の扱いが雑になっており笑顔が減っていっていたように思う。

それも知った上で私と責任者が少しでも心の安らげる場所を作りたいとよく語っていた。

保育士は、「そんな事ないです。彼はやり過ぎだから社会の厳しさを、、、」などと根性論のような事を社長に言う。

それを聞いて責任者と私は、それは違うと言葉では言わないけどもアイコンタクトで交わして意見の一致を確認した。

すると責任者が言葉を発する前に、社長が「それは違う。君(保育士)がそんなやり方をするからだ。」とハッキリと言っていた。

その後も社長は保育士に、何故そのやり方がいけないのか様々な理由を述べていた。

私はそんな事を言う社長に目を見張った。やっと彼には怒る時も静かに優しく語りかけるように、何故してはいけなかったのかお互い話し合いながら怒る事が大切だと社長も分かったのかと本当に嬉しくなった。

保育士は怒って泣いて、車から降りて行った。

保育士を追いかける事もなく、空いた助手席には責任者が座った。

すると責任者が辞める今だからと、アレコレを社長にポツリポツリと少し笑いながら話し出した。やっと2人が手を取り合い話していた。

今なら私も社長とやっと前向きな話が出来ると思い、その会話に参加をした。

深い話をする前に、子どもの保護者から連絡がきて子どもを迎えに行く事になり、私は車を降りなければならなくなった。

そして、雨の中子どもを探した。

 

 

 

そんな夢を見た。

私は前の会社を辞める時に最後の最後まで社長ともしっかり腰を据えて話す事は出来ず、とにかくその保育士と社長に疎まれていた。

保育士は責任者が辞める前までは、非常に懇意にしてくれていたのに、責任者が辞めるとなると急に周りに対して厳しくなっていった。私は子どもたちが安心できる居場所が作りたかったから、その様な教育的な事は意地でもしたくなかった。

社長は保育士のやり方を支持しており、それに反対意見を示す私は厄介な存在だと思っていたのだろう。嫌なら辞めろと堂々と言われた事もある。

子ども達の事を思うと何度も何度もまだ頑張ったほうが良いのではないかと悩み、でも結局は他のスタッフに背中を押されて辞める決意をした。自分のやってきた支援に自信を持って、彼らならどこでもやっていけるようになれる支援をしたと自分に言い聞かせた。

責任者は社長と子どもの支援方針で何度も言い合いになり、頭を抱えていた。

責任者はずっと辞める機会を探していたのだと思う。とある信頼しているスタッフが辞める事になると、雪崩れる様に責任者も辞表を出した。

そこからは、これまで私たちが築いてきた物がゾロゾロと崩れ始めた。時間や責任が全て音を立てて壊れていく様子を私は毎晩毎晩涙を流して悲しんでいた。

保育士と社長にとって都合の良い様に、大切に守ってきた場所が建て直されていった。保育士と社長が発言をする度にショベルカーがそこを瓦礫にしていって、私は子どもにそんな様子は見せたくないと子どもを胸に抱えて砂埃を被った。責任者が辞めた時から今日までずっと砂埃が肩についていた。

 

今日、責任者と頼りにしていたスタッフと会い念願の飲み会が開かれた。

責任者はずっと社長からの嫌味を堪えて聞いていた事を吐露していた。だから、責任者にすると私の夢の話はきっとあり得ない事だったと思う。でも私はそんな未来をどこかで未だに期待をしていたのかもしれない。

否、諦めきれなかった。どこかで何か自分が間違ったのだとずっとずっと責め続けていたのだろう。瓦礫になる様を見ているだけでなく、動きたかった。大切なものを守るための力が欲しかった。

それがなかった事が何よりも苦しかった。

 

その時の私と今の私にはそれが出来なかった。人生は二度はない。だけど、二度目があるなら社長と保育士と上手くやっていきながら取り込みながら皆が心安らかに過ごせる場所を作りたい。夢を夢だけで見ずに、現に残せたら幸せだ。