漠然と
来る師走の月、私は26歳になった。
25歳の時は四捨五入をして30だな、だけどまだ若いし。そんな風にまだ気持ちはどこか10代に足を残しながら思えた。
だが、26歳はそうはいかなかった。もう私は30を目前にした大人であると認識させられた。めでたい誕生日ではない。
今年、28になる姉が子どもを産んだ。
それまで顔付きが女だった姉の顔が母になった。輪郭が鼻が目が口が変わる訳ではない、だが雰囲気が纏う空気がそう私に告げるのだ。
義兄さんから送られてくる一枚一枚の写真を見る度に、人生で長い時間を見てきたはずの姉の知らない顔を見ることになる。
鏡を見る。
まだまだあどけない芯のない顔の私がそこに存在する。鏡の中の私が、私を指差しこう告げる。「大人になれ。」と、一言。皆まで言うなと、私は頭を抱えるが鏡の中の私は私に目でずっと現実を訴え続けた。
青い自分に憂鬱となりながら、家の中を彷徨う。ふと父が寝ている姿が目に入る。その父の寝姿は以前のように大胆ないびきをかいたり、1日の疲れを吐き出すような眠りではなく、老いからくる眠りだとすぐ分かるほど大人しいものだった。いつまでもエネルギッシュで元気な人だと思っていたが、私も歳を取れば当然親も老ける。
これらが私を「このままではいけない」と教える。
26歳の今の私はミュージカルにアイドル、2次元と好きな事を好きなだけ楽しんでいる。
これは悪い事だとは思わない。特に他人がこの様な状態であれば、「素敵だね」とすら思うだろう。だが、今の私はただ手放しになんでも楽しめるだけの無責任な子どもというだけである。
姉の顔付きが変わったのは、母としての重責だ。そして父の老いは、娘が母となった安堵だ。
私はそのどちらにも参加が出来ない。
こんな虚しい事はあるのだろうか。
私だけが私の責任のみを背負って生きているのだ。これは恥なのかもしれない。
人が40年50年と立派に生きるために、自分の責任以外も感じなければならないのだと思えた。
ただ流れる様に生きたいのであれば、今のままで良いのかもしれない。
だけど、それで未来の私も今の私も満足しないだろう。
人生は楽しい事ばかりでは構成出来ない。仕方なく大人になるのではない、私は選んで大人になるのだ。