徒然

読む人に読んでほしいブログ

そういえば

 

ある事をきっかけに何かをふと思い出す事がある。その積み重ねが人生だなと思ったりする。

 

小学生になって初めての冬、窓から雪が降っているのを見た。へー、大阪って雪が降るんだ。特に喜びもせず、奈良で暮らしていた私はそう思った。

2年生になり、また同じ季節が巡る。窓を見ながら、1年前に雪が降っていた事を思い出した。その時、1年間の記憶が巡って蘇り、時の速さを実感した。おばあちゃんが歳を取ると時間が早く経つと言っていたけど、こういう感覚なのかなと思ったのをよく覚えている。

 

大人になり、他人との会話や行動で過去の自分を思い出す事が増えた。

私は昔は破天荒な生徒だった。大人の言う事はほとんど聞かない、むしろ聞きたくない。優等生なんてクソ喰らえ、校則なんてものは破るために在る、大人からすれば何とも困った子どもだった。

でもそれはただ型にハマりたくないという気持ちだけでしていたのではない。大人の言う言葉にあまり共感も出来なければ、聞く気も起きなかった。上手く生きられている大人の方が少ないのに、そんな大人の言う事を聞いてどうなるんだという考えがずっとあった。

親に怒られても、どうにも売り言葉や買い言葉で言われた言葉の方が多く全く刺さらなかった。

親に迷惑をかけるなと何度も怒られていたが、そもそも子どもとは迷惑をかける生き物で、それを了承して産んだのではないかと中学生くらいからずっと思っていた。それを了承した上で産んだとするのであれば、私にかけられた迷惑に一々惑わされるなとも思っていた。

 

でも、今は社会人になり迷惑をかければ自分に返ってくるので流石にその様な事はもうしない。でも、正直そこまで親に迷惑をかけているのに、申し訳なさも感謝も少ししか感じない。これは人間として、他人を尊重する気持ちがあまりにも足りないだろう。

 

ここまで思うようになってしまったのは、幼少期がとても大きい。

親は毎日毎日飽きるほど喧嘩をしていた。まだ幼稚園児の私から見ても"そんな事で喧嘩をしなくても"と思う様な内容で喧嘩をしている時もよくあった。怒らず少し話せば分かるだろう内容すら、お互いが日々の積み重ねのイライラから何でも喧嘩しているのを見て"大人って本当に情けない"と思っていた。当時は情けないという言葉を当然知らないので、私は親の怒声を背景に自分の脳内の友達と遊んでいたのをよく覚えている。親の相手をしている方が子どもだ、そんな事を考えていたんだろう。

だから、親に怒られても"あれ如きで怒る人が、よくも私にそんなん言えるなぁ"と、どこか冷めていた。大人からすれば本当に嫌な大人だと思う。こんな考えが20歳頃まで続いていたので、周りの大人の言う事は殆ど聞いてこなかった。

 

社会人を続け数年が経った。

大人も色んな人がいる。人の話をしっかり聞いてくれる人もいて、その様な人にも出会えた。やっと自分の中で大人の認識が変わってきた。だから周りの人の話も聞ける様になってきた。成長が遅いったらなんのその。