徒然

読む人に読んでほしいブログ

されたいから

 

マザーテレサの名言の一つに、「愛されるよりも、愛することを」という言葉がある。

 

人はずっと求め続ける事はしんどいし、綺麗なことを言うのであればまずはして欲しいなら自分からする事が大事なのであろう。

 

でもこのマザーテレサの言葉は破綻していると思う。

愛されているという自信がなければ、人は他人も自分も愛しにくい。自分で自分を愛でる事も他人を可愛がる事も難しい。

 

私は少し前まで遊び人で避妊もせずに男と寝てばっかりいた。経験人数は初めての彼氏と別れた時はたった1人だったのが、あっという間に20人にまで増えた。

元々セックスが好きだったし、遊んでいるという事がなんだかステータスだった。やっと自分が憧れていた普通の女になれたような気がした。

でも周りの意見は私とは正反対でいつもいつも「自分を大事にしろ」と言ってきた。避妊をあまりしっかりしていないのは、周りに責められると分かっていたので黙っていたし、何故その様なことを言われるのかがわからなかった。

やっと私はオタクの垢抜けない錆びついた田舎娘から女として羽化をし始めているのに、どうして皆んなは今の私を評価してくれないのか、そう思っていた。

何も色んな男と寝ることは性に奔放ではあるが、自暴自棄になっているという訳ではない。

小中高と女子校で育ち、大学生でも垢抜けなくて10代のうちに経験しておきたかった恋愛や遊びをなんとか取り戻し同世代と同じように、男や恋愛について語りたかった。

その目標は達成できたし、未だにあんなに遊んだ事に関して一切の後悔はない。

顔も名前も思い出せない人たちと何度も体を重ねたが、それだけの話だ。

 

しかし、今になって周りの言っていた自分を大切にしろという言葉が少し理解できる。

これは遊びをやめたからだなんて、そんな単純な事ではない。

今の職場を諸事情で辞めてはしまうが、本当に前の園長や他の先輩からとてもとても大切にされ、職場で自分の力が認められて必要とされたからだ。

私はこれまで自分は頑張れない子だと思っていた。

それは目に見えて自分を評価するだけの結果をあまり出せていなかった事だったり、親はいつも「それが親を喜ばすと思ってるんか?」「お前は根性がない」と散々言っていたので、どうしてもそれが自分の脳裏に焼き付いていた。

だから私は頑張ってもしょうがない子だと思っていた。頑張ってもいつも大抵結果が出ないし、しんどいから頑張りたくなかった。それでも生きること、そのものが既に頑張りを強要しているので生きる事が辛かった。

でも今の職場で自分が認められて、自分の力を発揮できて、やっと自分はこれまでちゃんと頑張ってきていたと思えるようになった。

真正面から自分を受け止められるようになった。

きっと周りの人達が言っていた「自分を大切にしろ」という言葉は、その人それぞれで違うとは思うけれども、自分に素直になり自分を受け止めて認めて慰めて可愛がって労る事だったんだと、ようやく分かった。

自分は、そんなに無理をしなくても誰かに大切にされる事があるんだ。そんな風に今は思う。