徒然

読む人に読んでほしいブログ

これが本当に

 

きっと最後。

 

夢の中で元彼に会った。彼も私も同じ教室で制服を着ていた。私は着た事は一度もないセーラー服、彼は半袖白ワイシャツだった。

 

夢の中で私は既に他の人と関係が出来ていた。

一度も彼と私の目が合うことはなかった。

 

少し離れたところから彼を見て、「元気なのね、そうか。これからも元気でいてね」と言葉をかけて終わった。

 

私は小中高女子校なので彼と同じ教室にいた事など一度もない。年齢も彼の方が6歳も下だったのでまず同じ学年だということもない。

 

でもそんな彼と夢で同じ教室の中で休み時間を過ごすというのは、私が一度も出来なかった好きな男の子と学校で過ごすという経験をなんだかさせてくれたみたいで嬉しかった。

 

もう悔いはない。

 

別れた頃は彼の事を、彼の環境をなんとかしたいという気持ちで必死だった。私だけじゃなくて彼の周りの人も苦しそうだった。

 

その中で私は社会人の立派とは言えないが責務を果たし、なんとか自立への道筋を辿っている。

彼の様に家庭環境に足を引っ張られ、もがくような事はない。

私も少し前までは家庭環境が黒い闇としていつも後ろに存在していたが、もう離れられた。

 

そんな彼と私はかけ離れすぎてしんどかったと思う。

 

逃げ場所がどこにもない私は彼と別れてから数千円を握りしめて、占いに行った。

占い師には「彼は依存症、貴方は頑張り屋さんで世話焼きな人」と言われた。そんな2人、絶対に相性抜群に決まってるじゃないか。

そりゃ惹かれ合った訳だ。お互いにとってカッコウの餌食のようなものだ。

 

幸せだった時の事は未だに思い出せない。だけど、もう思い出す必要はない。全部全部いつか思い出せるなら、その時思い出せば良いし、思い出せないならもう思い出さなくても良い。

別れた時は全部全部私が覚えていようと思った。記憶のない彼の代わりに。

でもその必要はもうやらないようだ。

 

もうそろそろ、幸せになろうと思います。

ごめんね、昔の様に幸せが怖くない。

 

悲劇のヒロインを卒業します、さよなら。

 

 

 

されたいから

 

マザーテレサの名言の一つに、「愛されるよりも、愛することを」という言葉がある。

 

人はずっと求め続ける事はしんどいし、綺麗なことを言うのであればまずはして欲しいなら自分からする事が大事なのであろう。

 

でもこのマザーテレサの言葉は破綻していると思う。

愛されているという自信がなければ、人は他人も自分も愛しにくい。自分で自分を愛でる事も他人を可愛がる事も難しい。

 

私は少し前まで遊び人で避妊もせずに男と寝てばっかりいた。経験人数は初めての彼氏と別れた時はたった1人だったのが、あっという間に20人にまで増えた。

元々セックスが好きだったし、遊んでいるという事がなんだかステータスだった。やっと自分が憧れていた普通の女になれたような気がした。

でも周りの意見は私とは正反対でいつもいつも「自分を大事にしろ」と言ってきた。避妊をあまりしっかりしていないのは、周りに責められると分かっていたので黙っていたし、何故その様なことを言われるのかがわからなかった。

やっと私はオタクの垢抜けない錆びついた田舎娘から女として羽化をし始めているのに、どうして皆んなは今の私を評価してくれないのか、そう思っていた。

何も色んな男と寝ることは性に奔放ではあるが、自暴自棄になっているという訳ではない。

小中高と女子校で育ち、大学生でも垢抜けなくて10代のうちに経験しておきたかった恋愛や遊びをなんとか取り戻し同世代と同じように、男や恋愛について語りたかった。

その目標は達成できたし、未だにあんなに遊んだ事に関して一切の後悔はない。

顔も名前も思い出せない人たちと何度も体を重ねたが、それだけの話だ。

 

しかし、今になって周りの言っていた自分を大切にしろという言葉が少し理解できる。

これは遊びをやめたからだなんて、そんな単純な事ではない。

今の職場を諸事情で辞めてはしまうが、本当に前の園長や他の先輩からとてもとても大切にされ、職場で自分の力が認められて必要とされたからだ。

私はこれまで自分は頑張れない子だと思っていた。

それは目に見えて自分を評価するだけの結果をあまり出せていなかった事だったり、親はいつも「それが親を喜ばすと思ってるんか?」「お前は根性がない」と散々言っていたので、どうしてもそれが自分の脳裏に焼き付いていた。

だから私は頑張ってもしょうがない子だと思っていた。頑張ってもいつも大抵結果が出ないし、しんどいから頑張りたくなかった。それでも生きること、そのものが既に頑張りを強要しているので生きる事が辛かった。

でも今の職場で自分が認められて、自分の力を発揮できて、やっと自分はこれまでちゃんと頑張ってきていたと思えるようになった。

真正面から自分を受け止められるようになった。

きっと周りの人達が言っていた「自分を大切にしろ」という言葉は、その人それぞれで違うとは思うけれども、自分に素直になり自分を受け止めて認めて慰めて可愛がって労る事だったんだと、ようやく分かった。

自分は、そんなに無理をしなくても誰かに大切にされる事があるんだ。そんな風に今は思う。

 

整えられる

 

上手く生きてる人って整えられてるなぁー。

そんな風に思います。

 

何かしらの集団に属しているとそういう人を必ず見かけます。

特に職場ではないでしょうか。年齢も幅広いですし、経験豊富な方もいらっしゃいます。

 

他人に嫌がられる様な障りのない性格をしていて、悪く言えば八方美人の様な人。

欠点を探し出すのに少し時間を要してしまう人。

 

こういう人って敵を作り難いし、生きやすいのかもしれないです。もちろん私には見えない苦労があるんでしょうけど。

でも私はとてつもなく汚い人間です。だからこういう整えられてしまってる人を見るとしんどくなるんですよね。どんなに凄い人でも欠点が見えている方が安心をします。

「あーこんな人でも欠点あるんだな」と思うと、自分とその人が同じ人間であると思い出させてくれるし、自分がどうしようもない手の付け所のないゴミではなく頑張ればこの人みたいにはなれるのかもしれないと思えるんですよね。

むしろ欠点がある方がフォローが出来るし頼れる。

 

 

完全や綺麗な物ほど怖い。

 

私の部屋は端的に述べると汚いです。とっ散らかっています。

これは片付けがそもそも苦手だという側面もありますが、綺麗な場所に自分がいるのが怖いんだと思うんです。

散らかっている方が自分の状況を見ている様で安心をする。自分の部屋が綺麗になっていると、自分という存在までもが綺麗でいなければならない様な気がして不安になってくる。

部屋でダラダラして過ごす事を平気で迎え入れてくれるような場所にしたい。

 

 

昔のことを思い出す

 

私は放課後等デイサービス、児童発達支援という発達障害児やグレーゾーンの子ども達を支援する仕事をしている。

 

私の働いている園では個別療養というものがあり、子どもとスタッフの一対一の時間を作り、一人一人に合った療養をしていく。

 

今はとある子どもに個別療養の時間に鉛筆の持ち方を教えて運筆練習をしている。

運筆練習はまずは書く楽しさを覚えてもらうために、何にも書いていない白紙を渡して好きな風に書いてもらったりする。(今回の内容とは関係ないが書いて時間が経てばすぐに消える水ペンなどから書く楽しさを感じてもらうのが個人的には効果的に感じる)

そして、次の段階で運筆練習のプリントに移行する。プリントは線を真っ直ぐなぞるところから始める。

大人ではそんな簡単な事をと思うかもしれないが、まずは"なぞる"が難しい子もいる。

持ち方が自分の中でこだわりが強く筆圧が薄く線がとても細かったり、急いで書いてしまって線がふにゃふにゃになってしまったり、中には何でもかんでも遊びに繋がる天才児もいて、たった一本の線をなぞるだけなのに自分の中で遊びを作りスタッフまでも巻き込んで遊び始めたりする子もいる。

こういったことは児童発達支援、つまりは発達障害児ならではの様に思う。(私は保育園で勤めた事がないので、定型発達の子どもの成長がよくわからない)

 

プリントの1段階前、白紙に自由に書いてもらうときの共通点をつい最近見つけた。

皆んな自由に書いているときは、十中八九紙の真ん中から書くのだ。

 

小学生のある日のことだ。宿題で筆算をする必要があったので、親にそこら辺にあったなんでもないただの裏紙をもらって、その裏紙のあちこちで筆算をしていた。すると親が急に「もったいないから紙の上の端から書け」と怒ってきた。真ん中から書いてしまい書くスペースをすぐに失った私は2枚目を親にもらった。2枚目でも同じようにまた真ん中から書いてしまって、泣くほど怒られた。そんな事で怒るか?と今なら多少に疑問にも思えるが、当時の私は「なんで端から書くことも出来ないんだろう、、私ってほんとダメだなぁ、、」と自分にショックを受けたものだ。だからこんな些細な事をいつまでも覚えているのだと思う。

 

子どもと鉛筆の練習をしていて、皆んな紙の真ん中から書くと気付いた時は驚いた。

子どもは体が小さいから当然の如く視野も狭いのだと思う。(これは何の根拠もありません)

だから、紙の端から書いてと頼んでも端の部分が目に入って来ずに真ん中に書き出そうとする。その上、自由に紙に書かせているならまだしも筆算や何かを書くと決まっているときはそちらに意識が集中しているはずだ。かなり慣れていないと紙の端から書くというのはマルチタスクになり歳が幼ければ幼いほど難しいのではないだろうか。

私の親は"端から書けない私"に着目し叱責したが、(紙の端から書いてもらう必要があるなら)私はスタッフとして子ども達に端から書いてもらう配慮をしている。まず子ども達の視野の真ん中に紙の端を持っていったり、そもそもA4サイズではなく折り紙サイズの紙を子どもに渡す。こういった配慮がお互いを生きやすくするのだと思う。

 

育児というのは過去を想起し、自分のわだかまりを解消していったり、過ちに気付き反省を繰り返していくものだと思う。この過程があって、やっと少しだけ一人前になっていくのだろう。

私は子どもがいないので、育児ではなく職場でこうして自分を振り返り少しずつ自分を納得させていっている。

世の中の何割も子どもに関わりこの様な想起をしている訳ではない。でも、時折はこうして過去の自分を他人を通して見つめ合う時間を作り、気付きを増やしていけるような社会であって欲しいと願う。

上から目線

 

今は全くもって連絡を取ってもいない縁の切れた友人がいた。その友人から数年に一度「上から目線でもの言わんといて」と釘を刺された。

その度に、自分は本当に上から目線なのかどうか悩んだ。別の友人に相談したところ言葉遣いに気をつけさえいれば大丈夫だろと言われたので、それはある程度気をつけるようにした。

 

私はその友人以外に上から目線だと言われた事はない。

つまり実際には然程上から目線でもないのだと思う。わざわざ上から目線ですよね〜と言ってくる人もいないので本当にそれが事実であるかどうかは分からないが。

その友人が他者よりも人間関係にヒエラルキーを作っているのか、はたまた言葉の端々を敏感に受け取る人様な人だったのだと思う。

いな、思っていた。

 

私の母はとても上から目線の人間だと思う。あいつはあかん、この子はこうだとすぐ他人を評価付けて採点をしている。

そんな母を毎日側で見て育ってきたが、上から目線だと感じた事はなかった。

その評価を鵜呑みにしていた幼い自分もいるし、人はそんな風に他人の事をとやかく言って生きていく生き物だと認定していたのだと思う。だから母のそれらの言動は人間という生物として当たり前の事なのだと思っていた。それは今でもほとんど変わらない。

だから私は「この人上から目線だな、、」と感じる事は滅多になかった。

 

そんな私が初めて上から目線で物言ってんなと感じたのが今日だ。

人は人として生きていく上で「○○であるべき」形があまりにも多いと思う。その形をなぞらえている人はとても生きやすいと思う。勿論、形どるまでに幾千もの苦労と努力があると思うし、中には元々形どられていてなんの苦労もなく自分の物として得ている場合もあると思う。

世の中選ばなくちゃ出来ない苦労というのものが存在すると思う。

苦労と言えば強いられてしんどい思いをしているイメージの方が強いが、確実に自ら苦労に近付いていく人もいるのだ。

そんな事をしてしまう人を世は「阿呆」「馬鹿」時には「メンヘラ」と片付けるのだと思う。私はそれは間違いないと思う。怪我をしていないのにわざわざ怪我をしに行って病院に運ばれる人はどう考えたかって阿呆なのだ。

しかし、素直にすれば上手く行く事も知らない人たちにとっては、そんな阿呆に生きる事が生き方として根付いているものである。

阿呆だと片付ける人が元々人間としての基礎が出来上がっていたのか、それとも基礎を築き上げたのかは知らない。でも、「アホな事はやめ」と、アホな事のやめ方も知らない人に言うのはなんと上から目線なのだろうか。そう感じた。一生お前たちは安全圏から見下ろしてアホを見て笑っていればいい。

ごく一般的な

 

20年ほど生きていると類は友を呼ぶという言葉の汎用性の高さに気付くときがある。

 

私は家庭が複雑でややこしい環境で育ってきた。周りの友達もそういった友達の方が圧倒的に多い。自分の周りの人達の両親の離婚率は嘘偽りなく6割を超えると思う。また、離婚をしていなくても不倫やDVがあった知り合いばかりだ。

だから世の離婚率が3割と知って、世の中には私が知らないだけで平和な世界が本当にあるということを知った。

 

大学生になり、女子校という箱庭で12年間育ってきた私が初めてちゃんと他文化と交わった。データだけではなく本当に一定数、絵に描いたようなまともな家庭育ちの人の多さにビックリした。

正直認めたくなかった。そんなものを認定してしまうと自分の人生は出だしから敗北していたのかと勘違いをすると思ったからだ。

 

どの家庭にも苦労も困難もある。それは間違いない。

それでもDVを受けてたりステップファミリーであることがマイノリティの側になるとようやく認識が出来た。

だが、私は社会福祉学部だったので実習などに行って複雑な家庭に生きている人も大勢見たので、なんだ味方はいるのかと安心もした。

 

そして社会人。

正直、悲しくなった。

初めて入社した会社はほぼ普通の家庭の人たちだった。当たり前かのように父と母が揃っていて楽しそうな家庭の話が飛び交っていた。

2社目でも、理想のような家庭で育ち、いらない苦労はしてなさそうな人が普通にいた。

 

認めざるを得なかった、私がどんだけどれだけ望んでも手に入らなかった物を平然と手に入れてる人達が一定数いるという事を。

腹がたった。なんで何の苦労もせずに20年以上も生きているのかと。だから、そういう人達の粗探しをして何とかその人たちが出来損ないであると思い込もうとした。

無理だった、普通に良い人で尊敬できる先輩だった。

それを認めてしまうと、自分がしてきた苦労は何の意味もないのかと思うので、どうしても始めは許せなかった。

でも一年その先輩達と共に過ごし、ようやく飲み込めた。

別の世界で生きているんだなと。

 

こうして今となっては腹も立たずにその先輩と共に働けるのは、

真面目に仕事を頑張り、子ども達と向き合ったからだと思う。

こんな私でも真面目に頑張れていて、結果もそれなりに出せていけている。それが自己愛となり自己受容が出来るようになってきた。

ようやく自分の悪い部分ではなく、良い部分に焦点を当てて自己分析ができるようになってきた。こんな幸せなことは本当にない。

自分は自分で頑張れていると思えたから、やっと他人と自分を切り離して考えられるようになってきた。

25年はかかったけども、まだまだ人生これからだと思う。

暴言

 

甘えてええのは、頑張ってるやつだけ。

やりたくない事をやりたくない、出来ないと喚いて、「しんどいねん」アピールしてる奴がガキ作んな。

 

日頃から自分は努力してると自負できるようになってから子どもは産んや。

 

母親になるという不安ではなく、単に自分自身に対して「こんな私が」と、自分の中で自分を保つ自分が認められる努力を完成させてない人が、全身全霊で子どもを守れる大人になれない。

 

自分が自分を認めて、初めて、他人からの愛や優しさを捻じ曲げず自分の中に落とせるようになる。

 

他者に甘えて、なんとか甘えられる要因を作るために子どもは作ってはいけません。

精神的に自立してない人間の子どもがどんだけ苦労するかなんて私らが一番分かってきたやろ。

 

ふざけんな。