徒然

読む人に読んでほしいブログ

ごく一般的な

 

20年ほど生きていると類は友を呼ぶという言葉の汎用性の高さに気付くときがある。

 

私は家庭が複雑でややこしい環境で育ってきた。周りの友達もそういった友達の方が圧倒的に多い。自分の周りの人達の両親の離婚率は嘘偽りなく6割を超えると思う。また、離婚をしていなくても不倫やDVがあった知り合いばかりだ。

だから世の離婚率が3割と知って、世の中には私が知らないだけで平和な世界が本当にあるということを知った。

 

大学生になり、女子校という箱庭で12年間育ってきた私が初めてちゃんと他文化と交わった。データだけではなく本当に一定数、絵に描いたようなまともな家庭育ちの人の多さにビックリした。

正直認めたくなかった。そんなものを認定してしまうと自分の人生は出だしから敗北していたのかと勘違いをすると思ったからだ。

 

どの家庭にも苦労も困難もある。それは間違いない。

それでもDVを受けてたりステップファミリーであることがマイノリティの側になるとようやく認識が出来た。

だが、私は社会福祉学部だったので実習などに行って複雑な家庭に生きている人も大勢見たので、なんだ味方はいるのかと安心もした。

 

そして社会人。

正直、悲しくなった。

初めて入社した会社はほぼ普通の家庭の人たちだった。当たり前かのように父と母が揃っていて楽しそうな家庭の話が飛び交っていた。

2社目でも、理想のような家庭で育ち、いらない苦労はしてなさそうな人が普通にいた。

 

認めざるを得なかった、私がどんだけどれだけ望んでも手に入らなかった物を平然と手に入れてる人達が一定数いるという事を。

腹がたった。なんで何の苦労もせずに20年以上も生きているのかと。だから、そういう人達の粗探しをして何とかその人たちが出来損ないであると思い込もうとした。

無理だった、普通に良い人で尊敬できる先輩だった。

それを認めてしまうと、自分がしてきた苦労は何の意味もないのかと思うので、どうしても始めは許せなかった。

でも一年その先輩達と共に過ごし、ようやく飲み込めた。

別の世界で生きているんだなと。

 

こうして今となっては腹も立たずにその先輩と共に働けるのは、

真面目に仕事を頑張り、子ども達と向き合ったからだと思う。

こんな私でも真面目に頑張れていて、結果もそれなりに出せていけている。それが自己愛となり自己受容が出来るようになってきた。

ようやく自分の悪い部分ではなく、良い部分に焦点を当てて自己分析ができるようになってきた。こんな幸せなことは本当にない。

自分は自分で頑張れていると思えたから、やっと他人と自分を切り離して考えられるようになってきた。

25年はかかったけども、まだまだ人生これからだと思う。